小さいころから私は本が大好きで、時間があれば書店に出かけ、
面白そうな本を探しては買ってきて読んでいます。
(本を探すのも至福のひとときで、何時間でも書店に居てしまいます)

そんな中で、ここ数年、いろんな美術アート系の本も読んでいるのですが、

先日、「ルイジ・ギッリ」というイタリアの写真家が著した『写真講義』という
写真論の本を読んでいると、こんなことが書かれていました。

 


“私たちが目指すのは、透明さをふたたび表現する写真を撮ることではなく、
本質的には世界をふたたび見るために、おそらく私たちと世界との間にある
透明さを取り払うことなのかもしれません。” (P135から引用)


“敷居という言葉は、外の通りと家の内との通路を意味するだけでなく、
比喩的にも使われていて、内にあるもの、考えること、見ているもの、
見ることができるもの、見なければならないもの、こうしたものに対し
私たちが現実世界で目にするもの、共通に観察され考察されるものとの境界、
つまり、私たちの内面と世界への注視との境界、閾(しきい)を表している
のです。写真における内部世界と外部世界のあいだにあるこの均衡点を、
私はフレーミングによって突き止めてきました。フレーミングをするとき、
私たちは写真の根本を成す本質的問題に直面します。” (P144から引用)


“シャッターを切る瞬間、私は敷居の上にいて、まさにその瞬間、
外部世界に私の内面を濾過させるように感じます。” (P145から引用)


“「世界にいる」という感覚・・・・・・ それはまるでなにかが日常の中で溢れ出す
ような発想、日常とはどんな神秘も追放されると信じられているとしても。
インタヴューはこう締めくくられる。「この感覚が、詩、絵画、歌、写真に必要
とされることすべてだと思います」。” (P238から引用)

 

Luigi Ghirri

 

私はこれを読んで、
写真家ルイジ・ギッリはこんなふうにして、この世界の美
(まさに神さまの世界?)を感じ、それを捉えて表現しようと
していたんだな、ということを知りました。

ここにもまた、自分が求めている知りたいことの1つがあった!
という気がして、嬉しい気持ちになりました。

 


申し遅れましたが、

私、当神社で奉職しております神職の“満知之”(みちゆき)、と申します。
(満知之は、ネット上のニックネームです)

これまで、若狭野天満神社(魔除け天神、あじさい神社)のホームページを
制作、管理してきました。1997年に立ち上げてからもう20年近くになります。


神社の家の子として生まれ、
おのずと神様や自然とともにある生活環境だったからなのでしょうか、
子供のころから、神秘的で不思議なこと、精神的・哲学的なことに
人一倍興味があり、いつも一人思索にふけっていました。

また神社ということもあって、いろんな方が参拝に来られるのですが、
その参拝者の方々との出会いやお話しを伺う中で、
自分のこととも照らし合わせながら、

「人って、人生って、死って、何だろう」
「意識や無意識、人の心って、何なんだろう」
「どうすれば幸せに生きれるのかな」
「この世界はどんなふうに創られているんだろうか」
と、気付けばそんなことをよく考えていました。


もちろん自分の頭だけで考えていても考えは拡がらないので、
書店や図書館に行ってはいろんな本を見つけ、手がかりとなる記述を探したり、
違う人が書いた違う分野の本を何冊も読み比べて、
そこから共通点を見つけたりしていました。


そうしながら断片を集めていっているうちに、
あるとき、或る閾値(しきいち)を超えたあたりから、
なんとなくなんですけれど、


人が幸せになったり不思議な力で上手くいったり、
この現世(うつしよ)の世界の理というのか法則というのか、
きっとそれは、こんなふうなんじゃないのかな・・、というものが、
自分の中で1つの納得の感じとして生まれてきたんです。
断片がちょっとずつ繋がって、おぼろげだけど形が見え始めた、
とでも言うんでしょうか。


・・そこで、そんな私の素人話であったとしても、
ひょっとして誰かの何かのお役に立つことができるのであれば、
神社に携わる者としてそんな嬉しいことはない、と思い、
これまで、ホームページにそれを書き認めてきました。

 

ただ、
言葉では自ずと限界がある上に、さらに私の言葉足らずもあり、
もっとも、この深淵な世界のほんのかけらしか知ることができてないでしょうし、
そもそも、この次元に生きる私たちが、見えない別次元の神や自然の世界の
真理やら法則やらの全体像をつかもうなんて、人間の思い上がりというか
前提が無理というのか、決して辿り着くような話ではないと思うんです。


・・でも、・・・それでも、

探したいんですよね、知りたいんですよね、ちょっとでも近づきたいんですよね。
(無謀だと分かっていることでも、きっと大丈夫さ、って進んでいけるのが
人間のいいところ^^)


そういうわけで、もっともっと本読んで、思索して、
新しい知見が見つかればそれを取り込んで更新していこうという、
まだ始まったばかりの未完成な話なのですが、自分なりの想いや考えを
これからも発信していきたいと思っています。
(完成待っていたら、自分もこの世界から消えちゃいますしね。笑)

 

 

話が逸れたので戻しますが、


なぜに『魔除けギャラリー』なのか、、


それは、
いつも私は、不思議なものとか、神とか、美(美術や芸術といったアート)
というのは、その本質が同じじゃないのかなと感じるのですが、

このところなぜか、
自分でも実際に、写真という手段を使って、
この世界の美を感じたい表現したいという思いが強く涌き上がってきまして、
それで写真を撮りたいと。(下手な素人ですが)


・・別に神社の写真でなくとも、“美” は、何気ない普段の生活の場の中に
そこらじゅうに溢れてると思いますが、
ここはせっかくですので、自分が奉職している神社、魔除け天神を
モチーフにしようと思いました。

 

そういうわけで、
この『魔除けギャラリー』と相成ったわけです。

 


・・小難しい話はさておきまして、


なんだか心地良いな、癒されるな、美しいな、
って感じてもらえる写真が1枚でもありましたら、望外の喜びです。